米田功プロジェクト応援集会レポート

Honolulu2008

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アイディアホノルルマラソンプロジェクト2008「泊まっていた時間が動き出す」昨年のヒーローたちの思いを継いで2008年のバトンは今年のヒーロー達へ

その日、会場は米田ファンの大きな期待とちょっとした緊張感が静かに混ざり合った、そんな空気に包まれていました。

受付や会場内にはのぼりが立ち、会場の壁には米田さんが引退の記念にプロのカメラマンに撮ってもらったという写真を使った、大きなポスターが貼られていました。

米田さんはメンタルトレーナーという彼の新しい仕事に相応しい、スーツ姿で登場。新鮮なスーツ姿に、みんなは期待の目を向けます。

第一声、

「皆さん今日は来てくれて、本当にありがとうございます。今日は来てよかったと思えるような会にしたいと思います。」と挨拶をされて着席。浮世先生の「せーの!」という掛け声と共に、先ほどみんなで練習していた「米田さん、現役お疲れ様でした」の声が、会場に響き渡りました。

「今、どんなお気持ちですか?」と聞かれた米田さんは、

「自分は現役の時、最後の試合で、ファンの人たちに何も伝えずやめてしまったのを、ずっとこれでよかったのかと思っていました。「引退します。」と言ってから、ファンの人ともゆっくりと話す機会がなくて、そのままになっていたのが、とても気になっていました。だから今日こういう席で、皆さんに改めてお疲れ様でした。と言ってもらって、今、とても嬉しいです。そして、自分自身もありがとうございます。と、ここで、こういった機会で感謝の気持ちを伝えることが出来て、とても嬉しいです。」と、

ゆっくりと、でもしっかりと、気持ちを伝えてくれました。

そして、沢山のドキドキや感動に溢れた、アスリートとしてのこれまでの生活について語ってくださいました。

そんなお話の中で、こんなエピソードもありました。

「試合直前、練習をしていたら突然お腹が痛くなって・・・」と語る米田さん、病院に行ったら盲腸という診断を受けたそうです。

「どうしよう、と思ったけれど、もうそれはどうしようもなくなって、メンタルトレーナーの浮世先生にイメージトレーニングのテープを作ってもらい、イメージトレーニングをして、盲腸を治すことが出来た。」「そんな選手いませんよね。すごいイメージ力、精神力です。」

試合直前に盲腸になった米田さんは、手術をすることも出来ず、薬でも散らさず、自力で盲腸を治したというのだから驚きです。
また、肩の回復の途中で、“腕の腱が切れていた”ということがあったことも判明。

「どういう状況だったんですか?」という質問に対して、

「なんかそれまではこうやって肩が上がらなかったんですけど、なんかゴキって変な音がして、そうすると突然肩がいい感じに動き始めたんですよ。だから、自分としてはてっきり、なんかいい状態になったのかな、なんて思っていたんですよね。

でも、当時鹿島選手も一緒に肩のリハビリなんかをしていて、それ、“まずいんじゃないの”ってことで、言われて検査をしたら、なんか腱が切れていたんです。」

これには、会場にいたみんながびっくり。

思わず、「痛くなかったんですか?」という質問にも、
「うーん、まあ、痛いのは痛かったんですけど、それよりもなんか、腕がよく回るようになったのが嬉しくて。多分、腱が切れるまで最初は腫れてたかなんかで、腕が回りにくかったんでしょうね。でもなんか切れた後は、すごくよく回るようになったんですよ。」

などというものだから、思わず、

「なんでそんなところまで前向きなんですか。」と突っ込まれるシーンも。

すごく壮絶で、すごく大変なことを話してくれているのに、それを淡々と、しかもまるで楽しいことのようにニコニコ笑いながら話されるのです。あらためて、なんて精神力の強い人だろうと思うのと同時に、会場は米田さんの楽しいトークに、笑いに、包まれたのでした。

また、精神的にも肉体的にも大変な状況にあったときに、ブログでファンの人たちから送られてたメッセージや励ましの言葉で、本当に支えられたと語る米田さん

「本当にアテネから北京までというのは自分だけでも、自分だけでは頑張れなかったし、またみんなに支えられて、本当にみんなのブログの書き込みに支えられて自分はここまで来た。だから直接会ってお礼が言いたかった。」と、話始めます。

そして、「本当にありがとうございました。」と、

立ち上がって会場のみんなに深々と礼をされたのです。

驚きました。まさか、こうやって直接、米田さんの口からみんなに支えられた。そのお礼を言いたかった。と聞くとは思っていなかったので、本当に驚きました。

会場のみんなは胸を熱くして、拍手をすることしか出来なかったと思います。突然引退を表明した米田さんは、どうしても直接ファンの人に会ってお礼を言いたかった。それが今回のホノルル集会になった。

ファンの人にメッセージを投げかけるきっかけとなった。

今回の会の主旨、そして米田さんの想いが熱く伝わってきました。そしてさらに米田さんは、「今回の会を作ってくれたボランティアのメンバーも、みんなでこの会をつくってくれて本当にありがとうございました。」と、ボランティアのメンバーにも深々とお辞儀を。

新しい組織で、新しいチームの中で、馴染んでいくだけでも大変なのに、そしてまたボランティアのメンバーにもそういった心使いをしてくれて、それも、とてもうれしいものでした。みんなの心が本当にひとつになった、素晴らしい瞬間でした。

さあ、ここで話題はいよいよ
この12月14日の、ホノルルマラソンのことに。

まず、米田さんから、このホノルルマラソンを走ることになった経緯をお伺いしました。

米田さんは、最終選考会の前にがんで余命宣告を受けた男性と出会います。

「すごい人がいるなあ。自分はまだまだだやな。」と、励まされながら最終選考会に臨んだそうです。

「もともと走るのは大好きで、長距離とかも大好きだった」という米田さん。

米田さんから、このホノルルマラソン参加のきっかけになった去年のランナー村田さん、そして、昨年に続き、今年も一緒に走る鈴木さんをご紹介されました。
村田さんは40代のビジネスマン。すごくしっかりと話す落ち着いた大人の男性という感じです。
特に沈んだ風でもなく、時折見せる優しい笑顔で米田さんと語りながら、ホノルルについてのお話をしていかれる姿は、とてもがんで余命宣告を受けているとは思えない様子です。

もう一人の鈴木さんは、やさしい20代のお兄さん、という感じ。
はにかみながらゆっくりとお話をされます。お二人ともうわついたところもなく、とても誠実な感じでお話をされていました。
米田さんが、「ファンのみんなにも、アイディアのホノルルプロジェクトのことを知ってほしい。村田さんたちのことを知ってほしい。」と言っていた理由がわかったような気がしました。

自分を支えてくれたファンの人たちなら、きっと、このランナーたちの想いにも何かを感じるものがあると思われたようです。

最後に昨年のホノルルランナーであり、アイディア・ホノルルプロジェクトの原点となった村田さんから、米田さんへのメッセージ…

「初めてのフルマラソンということで、やっぱり凄く大変だと思うけど本当に楽しんで下さい。ホノルルマラソンはアロハスピリッツに溢れているとても素敵な場所です。子供達がクッキーを差し出してくれたり、ボランティアの人達が凄いですよ。そして車椅子の人達なんかが懸命に走っているのを見ると、それだけで心癒されます。」

村田さんはご自身がまさに絶望のどん底で苦しんでいる時、テレビで東京国際マラソンを走る高橋尚子さんの「夢はきっと叶う。今、絶望のどん底にいる人もあきらめないで」という言葉に起死回生し、そして去年、一昨年とホノルルマラソンを走りきった村田さん。

その村田さんの中には米田さんへの強い友情と、そして応援の気持ちを感じることができました。

今年は去年に引き続き米田さんと一緒に走ることになった鈴木琢磨くん。
鈴木さんからのメッセージも「一緒に楽しんで頑張りましょう」でした。

鈴木さん自身は人生のどん底から多くのトラウマを抱え、そして村田さんと出会う。

「健康な人間でもこんなに辛いのに村田さんの気持ちを考えたら辛いとか苦しいなんて本当に言えなくなっちゃったんですよね」と。

「元々は今時のお兄ちゃんで努力とか一生懸命っていう言葉が超嫌いだったんです僕。」と会場の笑いを誘う。

努力とか一生懸命っていうことが嫌いだった若者が村田さんと出会い去年はホノルルマラソンを完走しました。今年は米田さんの一年ホノルルの先輩として、そして米田さんをお兄さんの様に慕いながら、一緒に走り続ける鈴木くん。時間も資金繰りも苦労して、それでもみんな何かのためにがんばります。そして3人の雰囲気には、お互いを尊敬し励まし合っている、確かな男同士の友情が感じられます。

ホノルルということでは、こんなエピソードもありました。

米田さんが浮世先生に渡した昔のビデオを浮世先生が見ていると米田さんのこんなコメントがあったそうです。アテネオリンピックで金メダルを獲った後のインタビューで番組に出ていた時、テレビの司会者の人が「これから何をしてみたいですか?」といった質問に対して米田さんは「そうですね・・・南の島に行きたいですね。」と、答えたのでした。
「なんだぁ、米田さんもう4年越しで行きたかったんだね・・・」
トップアスリートに長い休暇はありません。身体を休める調整日が週に2回あるだけ。
自分の気持ちを緩めることもできないし、毎日365日24時間、体操のことを考えて生きていたであろうトップアスリートの米田さんに本当の意味での休息の期間は訪れなかったのです。

でも現役が終わって、ある意味バカンスでのんびりとすればいいはずの南の島で米田さんは、また新しい目標を自分で創り出してしまいました。

制限時間のないマラソン、ハワイ・ホノルルマラソン、42.195キロを自分の足で自分の体でまた体感しようと思ったのです。

しかも「僕は体操選手としてフルマラソンを走る」という言葉に代表されるように、米田さんの中には、しっかりと体操というものが活き付く自分の身体で、このフルマラソンに挑戦しようとしています。
しかも4時間24分(昨年の村田さんのタイム)という初マラソンとは思えない凄い目標を掲げて・・・
「そんな米田さんを、しっかりと皆で応援して行こう」という気持ちが改めてこみ上げて来ます。がんばり続ける意味。前に進み続ける姿。そこには単に「現役終わって、お疲れ様」ではなく、もうすでに次の目標を見つけて歩み始めたアスリート精神が表れていました。

今回のイベントのテーマは「止まっていた時間が動き出す」です。
米田さんのアスリートとしての止まっていた時間が2008年12月14日のホノルルマラソンの時だけ再び動き出す、そして昨年止まっていた村田さんの時間をまたホノルルマラソンのキャプテンである米田さんが引き継いで「夢は叶う」その言葉を引き継いで、その止まった時間が動き出す・・

「2008年12月14日午前5時ホノルルマラソンはスタートします。日本ではちょうど12月14日から15日変わる瞬間の夜中の0時、是非皆さんもその時には『あぁ、今頃ホノルルランナー達は出発したんだぁ』と思って応援して下さいね。」という浮世先生のコメント。そこには、会場が一つになったような感動がありました。

最後はみんなで手拍子でランナーたちを送り出します。「ホノルルガンバ、ホノルルガンバ」みんなの声がひとつになって手拍子の中、村田さん、鈴木さん、そして米田さんが退場。

最後は深々と米田さんはみんなにお辞儀をして、拍手の中、米田さんたちは退場して行きました。

最後のアナウンスで浮世先生がこう締めくくります。

「今回はやっぱりブログなんかに色んな書き込みがあり、正直、開催できるかどうか不安でした。でも、今日会場に来られたみなさんの協力のおかげで無事最後まで開催できたこと、心よりお礼申し上げます」と。そう会場にいる人たちは、もう単なるファンじゃない。サポーター第1号なんだ。そう思うとなんとなくジーンと心が熱くなりました。

アイディアホノルルマラソンプロジェクト、ここからスタートしたアイディアホノルルマラソン米田功プロジェクト。しっかりとハイビスカスの花に彩られた白とブルーの「のぼりの文字」がなんだかとても米田さんらしくて素敵だな、と思いました。2008年12月14日、日本にいてもこの時間、忘れることなく、しっかりと応援したいと思います。今回は素敵な会に呼んでいただき、本当にありがとうございました。これだけでも充分満足だったのですが、最後に米田さんからのサプライズプレゼントが!

なんと机の上にそれぞれ席を指定するための自分の名前が張ってあったのですが、その封筒の中に米田さんが全員の名前を一人一人手書きで書いてくださった直筆のサイン入り写真のポストカードがありました。自分の名前が手書きで書かれていて、しかも米田さんから、応援ありがとう、これからもよろしく、というメッセージが入っている。そのポストカードを見たときに、あぁ、きちっと名前を伝えるというのはこういうことだったのか、と改めて納得しました。また住所をきちんと登録した人には、もしかしたら年賀状も届くかも、ということで、今からドキドキと楽しみにしています。今回は本当にいい応援集会で、また私たちも一歩前に進める気がしました。本当にありがとうございました。

スライドショー、時計贈呈のセレモニーなどもあり、とても内容の充実した会でした。

米田功プロジェクト応援集会ご報告

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