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- 1月13日 治療中でもあるがままに過ごすメンタルのスキル5
東京渋谷ココロゴトSalon所属 女性
日常、不都合なく過ごしていたとしても、相手の価値観にそって
相手の気持ちをあるがままに受け止め
共感することは、簡単なことではないと思っている。
お互いの主張や思いが衝突する事も少なくないし
合わなかったとしても、その場限り、グッと我慢したり
その機会を過ぎるのをただじっと耐えることも少なくない。
例えば、自分の体調が悪い時、病気の治療で余裕がない時
同じ状況になった時は、同じ対応ができるだろうか。
大きな病気の経験はないが、小さな頃、小児喘息を患っており
大好きな運動が思うように出来なかった時
周りの人の配慮に悲しみや怒りを覚えたいのを思い出した。
病と向き合っている人との、会話やコミュニケーションは
配慮はある程度必要なのかもしれないが
それよりもまず、相手の価値観を理解し受容すること
思いや感情に共感し寄り添う事、そのままでいいと勇気付けることが
まずコミュニケーションを図ることの入り口にあると、学んだ。
状況を把握し、相手の感情を読み取ろうとするとき
自分の経験や価値観に一旦、照らし合わせたりすることがあるが
病と向き合っている方の気持ちの中がいつも通りではなく
不安や恐怖感と戦う事で精一杯で、自分がどうしたいかわからない状況に
あることが想定できるため、その人の発する言葉をその通り受け止める事
おざなりの知識はその時、必要ないんだとわかった。
言葉にするとシンプルなように思うが、行動することは容易でないと思う。
でも、こういったメンタリティは必ず自信でも経験があったはず
そんな時の自分に立ち返り、状況を理解し
相手の心とコンタクトを図ることを心がけたいと思った。
大阪梅田Salon所属 男性
「死」とはどういうものかを、その中でどう生きて行くかを考えると
「生きる」ということ(尊厳)が浮き彫りになってくるということに心を打たれました。
自身の場合は、子供が生まれる前後で、生きることの意義が変わってきました。
それは、これまでは自分の生死は、自分で選択できると思っていたのが
子供を育てる立場になると、子供を生かし、子供に生かされる関係となり
生死を自分だけで選択できないと思うようになったからです。
だから、死生観や「生きる」という意義は
自分が置かれる環境や行動により変えることができる
一人一人に与えられた貴重な財産であると感じました。
「受容するのは、相手の価値観を理解する為」という言葉が印象的でした。
家族など、身近な人ほど、相手の価値観を分かっているつもりになっているけど
改めてその人の価値観とは何なのかと考えようとすると
実はよく分かっていないことに気付かされることがあります。
相手の価値観を理解したり、思い出させるように話を聴いていくという観点で
受容的な態度をとるということを意識すると
どう質問するかということに囚われていた傾聴から、もう少しじっくり聴いていくという
姿勢になっていくのではないかと思いました。
そういう点を意識しながら、今後もトレーニングをしていきたいと思いました。