アイディアのカウンセリング・メンタルトレーニング 【山口県】

  1. HOME > 
  2. 山口県

アイディアのカウンセリング・メンタルトレーニング

山口県の受講生・卒業生の声

受講生・卒業生の声女性
学ぼうと思ったきっかけは、もともと社会福祉士、産業カウンセラーのし資格を持っており、メンタルヘルうカウンセラーの資格も持っていた。しかし転勤族のため資格取得後すぐに転勤になって、学び続けることができなくなってしまった。スクールソーシャルワーカー、若者の心理相談などの活動をしていたが、せっかく採用になっても、結局夫の転勤のたびに辞めなければならず、地域とのネットワークも築けない。他の地域に行くと勉強会もなく、どんどん追い詰められていく気持ちになっていた。
山口の地域に定着することも考えたが、実家の母親のことが気がかりだし、また転勤して全く知らない地域に移らなければならいことを考えると頑張っても報われない気持ちになっていた。

そこで転勤や地域に関係なく活動できるSNSカウンセラーなら活動し続けることができると思た。自宅でSNSカウンセラーとして仕事ができればどこに転勤になってもできる。万が一実家の母親に何かあったとしても、環境を整えれば仕事ができる。

他の団体もいろいろ講座はあったが、webでの授業がなく、地域関係なく受講できるアイディアはとても助かっている。

学びを深めて、セラピーマスターの体験はグループで、いろんな人の考えやセラピストの話から、今まで気づかなかったことに気づけた。自然の中で箱庭療法やったときに、自分が選んだものが自分中にすでにある、とセラピストに言われて、信じられない気持ちだった。憧れだと思っていいたものが、すでに自分にはあるということが、自分を信じるきっかけとなった。

幸せになる習慣化のプログラムは、やりたいことが決まってSNSカウンセラーとして活動すべく、タイピングの練習をしたが、なかなか上達せずにすごく落ち込んで、どうせ何もできないと思っていた時期に受講してみた。すると少しずつ習慣化していったら、意外とできることに気が付けた。今までやってこなかったことを何でもいいからトライしてみる、家族の関係で大阪に戻らなければならない大変な状況で、遊びに行くなんてもってのほかと思ったが、せっかくだから、やりたかったけどやっていなかったことにチャレンジしてみた。不謹慎かもしれないがアドベンチャーワールドやUSJにいってみると、最初は罪悪感があったものの、行ってみたらとてもストレス発散できた。荷物を全部おろして心を軽くしてリセットできた。今までのマイナスのものが全部吹っ切れた。少しずつ成功体験を積み重ねて、自分はできると信じることができた。そうすると、一つできるとそれに関連するものができるようになり、できる方向にすべてがつながってきた。食事、運動、自分の身体のケアができて、自分の頑張っている身体にも敬意を持てるようになってきた。

今はプロフェッショナル心理カウンセラーの資格取得をして、今後行政や公共事業のSNS相談や、医療従事者のケアSNS相談にもチャレンジしていきたい。
今後はSNSカウンセラーの活動と、ゆくゆくzoomを使って、離れている地域や海外に住む日本人等、地域によってはカウンセリングを受ける場所がないところに、心の支援が届くようにしていきたい。
SNSカウンセラーの資格取得をあきらめずに本当によかった。
変わりたい、と思った気持ちを自分自身が信じた結果、今につながっていると実感している。

山口県について

山口県は中国地方最西端の県です。本州最西端でもあります。
 人口は約1,337千人です(令和3年2月1日現在)。
 面積は6,112平方キロメートルです。三方を海に囲まれ、一方は中国山地へと続きます。すなわち、北は日本海、南は瀬戸内海で、西の関門海峡が二つの海をつなぎます。また、東側は中国山地の山々へと続きます。県の中央部はすでに山間部で、「山口」の由来は山の入り口とも言われています。

 地方区分では中国地方に区分されますが、関門海峡を挟んで九州との距離は近く、「九州・山口地方」と称される場合もあります。山口県知事は中国地方知事会と九州知事会の両方に参加しています。

 県の歴史は、古くは大陸文化の窓口として栄えました。綾羅木郷遺跡や土井ヶ浜遺跡などの弥生遺跡が多数残ります。現在の長門市油谷には世界の三大美女の一人と言われる楊貴妃が流れ着いたと言われています。
 奈良時代以降、長門・周防の2つの国が設置されました。日本唯一の鋳銭所が長門に置かれ、奈良時代から平安時代初期の貨幣が鋳造されました。
 室町時代には守護大名大内氏の城下町であった山口は日本最大規模の4万人都市と栄え、「西京」とも言われました。雪舟、ザビエルなどが訪れています。
 その後、両国は毛利氏の領国となり、幕末まで続きます。江戸時代後期、毛利氏は山口に長州藩(萩藩)を加え、「山口藩」とします。幕末、2度にわたって長州は幕府による征伐を受けます。第二次長州征伐では騎兵隊を率いた高杉晋作らの活躍で幕府軍を撃退し、以後、尊皇討幕を掲げ、明治維新の原動力となります。
 明治の廃藩置県で山口藩、岩国藩、長府藩、清末藩は4つの県を経て山口県となりました。
太平洋戦争時には岩国沖の諸島部が日本海軍の泊地となり、周辺地域は軍事的影響を受けました。現在の米軍岩国基地などは当時の名残です。

 県の産業は瀬戸内海で盛んな工業、平野部から中山間部では農業が、また日本海、瀬戸内海共に沿岸部では水産業が盛んです。
 かつては宇部地方では鉱業が盛んでした。今は閉山し、セメント製造企業が集中しています。
 農業ではコメの生産が最も多く、主にコシヒカリ、ひとめぼれ、ヒノヒカリが生産されています。
 三方を海に囲まれた山口県では古くから水産業が盛んでした。江戸時代より捕鯨が盛んに行われていました。他国が日本海で捕鯨を始めたこと、国際的な捕鯨禁止の動きや国際捕鯨委員会との関係で衰退、再開を繰り返してきましたが、2019年に日本が国際捕鯨委員会を脱退したことで下関市は商用、調査の捕鯨の基地となっています。また、同市はフグの取扱量が日本一位で、全国のフグの大半を取り扱っています。その他、アマダイ、サザエが全国第2位、イサキ、アワビが第4位です。また、水産加工業も盛んで、下関市ではウニの瓶詰、辛子明太子、練り製品は全国有数の生産量です。

 県はきれいな海があり、自然豊かなところです。
 角島大橋は2,000年に開通した、本土と角島を連絡する橋で、通行料不要の離島架橋では沖縄県の古宇利大橋に次いで2位です。透明度の高い日本海の海に浮かぶ1,780メートルの橋は、映画やCMのロケ地でも有名です。
 岩国市の錦川にかかる錦帯橋は延宝元年(1,673年)、岩国藩主の吉川広嘉によって建造されました。木造五連のアーチ橋で、その構造は精巧であり、また独創的でもあります。現代の橋梁工学をもってしても完璧と言われ、日本三大名橋の一つに数えられています。橋の奥手には山地が迫り、春は桜、夏は新緑に鵜飼いや花火、秋は紅葉、冬は雪をまとった山々と、四季を通じて私たちを迎えてくれます。
  • 友だち追加
  • お友達登録された方には無料体験講座クーポンをプレゼント

  • 浮世満理子@心のケアの専門家 Twitter アイ・ディアヒューマンサポートアカデミー 東京本校 Facebookページ