アイディアのカウンセリング・メンタルトレーニング 【沖縄県】

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アイディアのカウンセリング・メンタルトレーニング

沖縄県の受講生・卒業生の声

受講生・卒業生の声女性
心理学を学ぼうと思ったときに、現状乱立した心理カウンセラーの資格や業界を統一する、という全国心理業連合会の理念のもと、プロフェッショナル心理カウンセラーの統一資格制度があることを知って、自分自身がいろいろ勉強してもしっくりしないもやもやが取れるかもしれない、勉強しても実践がなく、不安や、方向性が正しいのかわからない中で進んできた答えが見えると思った。

そんななかで、ネットを検索すると、アイディア沖縄校があると知り、しかも全ての講座は東京に行かずにオンライン講座で基礎から学ぶこと、しっかりと現場で実務経験を積める研修制度があって、実力が身につくと感じた。

また、アイディアでは病院でのメンタル支援やオリンピック選手のサポートなど、個人では入れない現場や仕事があるので、自分の可能性が広がる感じがした。大学に行くよりも、現場で学べることを重視して、アイディアに入学した。

アイディアで学んで分かったことは、もともと産業カウンセラーの勉強をしていたので、ある程度の知識はあったが全部不完全だったということ。自分自身でどの部分の理解が浅かったのか、しっかりと現場で使えるレベルで理解を深めることができた。また、zoomを使ったWEB講座では、わからないことを聴くことができるので、質問をすることでしっかりと落とし込みができた。

いろんな資格を学んでも、不安なままでカウンセラーとして名乗れるのか、自分自身でも疑問に思っていたが、アイディアが提供しているのは問題解決型のカウンセリングなので、その手法を身につけることで、自信を持つことができた。車のメンテナンスが定期的に必要なように、心をメンテナンスをする、病気になる前にカウンセリングを受けることで、自分らしく生きることができる、そうした心の支援を自分でもやっていきたいと心から思えた。

現場実践トレーニングでは、セラピーマスターという、沖縄の自然の中でグループセッションをする、グループカウンセリングの現場のアシスタントに入り、カウンセリングの進め方、統合まで組み立てていくステップを体感できた。カウンセリングは室内で1:1のイメージだったが、自然の中でこんなにもダイナミックにセラピーを行うことで、クライアント、カウンセラー、一体となって癒しを体感できる経験に、心から感動した。クライアントとのかかわり方から、本当のカウンセラーマインドの作り方の基本と実践を体感し、臨機応変に、柔軟な対応力を身に着けることができた。

そして、カフェセラピストトレーニングでは、もともとこころと身体と自然をテーマにお店をやっていたので、カフェで楽しいセラピーを提供するイメージがぴったりだった。箱庭セラピーは本当に楽しく、箱がなくても沖縄の自然を活かしてできるし、貝殻やガラス玉、木の実も箱庭グッズになることに驚いた。しかも沖縄にいながらzoomでWEB講座で本格的な体系立てたトレーニングが受けられることもすごいと思った。

プロフェッショナル心理カウンセラーの資格取得は、アイディアに入る前からから、この資格を取ることができたら、自分の思い描くカウンセラーの活動ができる、一つのゴールとなるイメージがあった。
実際に資格取得をしてみて、今心理カウンセラーとしての活動ができ、思い描くイメージが実現した。

プロのカウンセラーの活動では、スーパーバイザーがいる環境というのが、一番大切だと感じた。自分の対応について、客観的な意見を聴くことで、対応力や実力を上げていく環境は、クライアントの安心につながると思った。産業カウンセラーはただ聴くだけで、どうしたらいいかわからなかったので、心理的なアプローチをつかうことで、クライアントの役に立つことが明確になった。

これからは、沖縄の豊かな自然を生かして、自然の中のカウンセリングツアーをやっていきたい。観光業界と一緒に、沖縄だけでなく、全国でできたらもっともっとカウンセリングの敷居が低くなり、必要な人に気軽に受けてもらうことができると思う。

畑のワークショップ、草刈セラピー、野草散策など、沖縄のおばあちゃんの知恵を現在に受け継ぐ活動と共に、食物に感謝、生きていることを実感できるセラピーをしていきたい。雨も風もすべてが生きているものの助けになるという、沖縄の大地からの教えを大切に、セラピーに融合させていきたい。

沖縄県について

沖縄県は九州地方に位置し、日本で最西端の県です。
 人口は1,460千人です(令和3年2月1日現在)。2015年の国勢調査で、前回と比較して県の人口は約4万人増加しました。これは率にして2.9%で、東京都の2.7%を抜いて全国で一番人口増加率が高くなりました。

 面積は2,280平方キロメートルで、沖縄本島、宮古島、石垣島など多くの島で構成されます。
国土地理院、海保によると、県は363の島からなり、49の有人島と残りの無人島からなります。1ヘクタール以上の面積を持つ島は160存在し、県の最東端から最西端までは約1,000km、最北端から最南端までは約400kmと広大な県域です。
 離島は多くで医療が不足気味です。病院が無く、診療所のみの島も多くあります。そのため、離島で治療できない救急患者は沖縄本島、または県立総合病院がある宮古島、石垣島に自衛隊や海保が空輸する場合もあります。
国交省による日本の14地域区分の1つである沖縄は沖縄県単独です。なお、県を「九州地方」の一部、または「九州・沖縄地方」とする場合もあります。
 県のほぼ全域が亜熱帯気候で、一部は熱帯に属します。一年を通じて温暖な気候で、標高の高い山が無いため、最低気温が10℃を下回ることはほぼなく、雪もめったに降りません。
 
 亜熱帯気候は生物にとって好適な気候のため、貴重な動植物が多く生息しています。本島北部には山原(ヤンバル)と呼ばれる自然が多く残る山間部があり、ヤンバルクイナ、ヤンバルテナガコガネ、ノグチゲラといった天然記念物など、貴重な生物が生息しています。山原と本島の海岸線の一部、慶良間諸島などは沖縄海岸国定公園に指定されています。また、西表島一帯及び石垣島の一部は西表石垣国立公園に指定されていて、マングローブが広がり、イリオモテヤマネコなどの貴重な生物が生息しています。

 那覇市には首里城があります。琉球王国当時、中国や日本、東南アジアとの盛んな交流で琉球独自の文化が生まれました。その王国の中心として政治の中枢、外交・文化の中心を担ったのが首里城です。
 1,879年、首里城から国王が追放され、「沖縄県」となり、首里城は日本軍の駐屯地、学校などに使われました。1,930年代には大規模な修理が行われるも、1,945年にアメリカ軍の攻撃により全焼します。戦後、跡地は琉球大学のキャンパスとなり、大学移転後に復元されました。2000年には世界遺産に登録されましたが、2019年10月末、正殿、北殿、南殿ほか7棟の建屋が焼失しました。この火災で首里城は5度焼失したことになります。今までも見事に復活したように、早くの復元を祈っています。

 県の産業はサービス業が中心です。また、観光業以外に目立った産業はなく、在日アメリカ軍基地が生み出す経済の影響を受けている部分もあります。経済依存度は減少していますが、現在でも5.7%程度を占めます。米軍基地内にはオフィス、病院、ショッピングセンターなどの施設があり、約9000人の雇用先となっています。

 太平洋戦争では、沖縄は最前線で米軍の砲爆撃を受けました。「鉄の暴風」が吹き荒れたと表現されるほどの沖縄戦で、住民の1/4に当たる94,000人が犠牲となりました。沖縄戦では多くの学徒、ひめゆり学徒隊と呼ばれる女学生も戦場に動員され、犠牲となりました。中学生や男子師範学校生は伝令、弾薬などの運搬に、女学生や女子師範学校生は陸軍病院などで負傷兵の看護などに当たりました。戦況が悪化すると、生徒たちは軍について南部に撤退し、最後は糸満の海岸に追い詰められます。そこで米軍の掃討攻撃や集団自決で多くの犠牲者が出ています。
 戦後、沖縄は米軍の支配下に置かれ、東西冷戦勃発で大規模な米軍基地が作られます。復帰40年を過ぎても、国内米軍基地の74%が沖縄に集中するという状態が続いています。
戦争は勝者、敗者共に莫大な犠牲が出ます。さらに、勝ったから侵略が許されるかというと、それも違います。戦争がどれだけ残虐で、人類にとって負の遺産しか残さないということは第一次世界大戦が示していました。我々日本人は特に、太平洋戦争では大きな犠牲を払い、未だにその影を残す地域があるということを忘れることなく、以来自国に軍を持たず、平和であり続けることを全世界に誓いつつ、世界の平和を訴えていかなければなりません。
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